灼熱の呉、鉄の要塞へ
呉の自衛隊基地の門の前で私たちを待っていたのは、6月末とは思えないほどの、肌を刺すような強烈な日差しだった。前回の夏の沖縄旅行も相当な暑さだったが、それとはまた質の違う、アスファルトの照り返しが容赦なく体力を奪っていく。
いよいよ、旅の目的の一つである自衛艦の見学だ。ここは事前予約が必須で、入場時には一人ひとり身分証明書の提示が求められる。その厳格な手続きのためか、あれほど多かったインバウンドの観光客の姿は一人も見当たらない。(流石に、そこまでは緩くないですよね~。 でも、基地の隣は星条旗、、、米軍基地もあるんだ~と。)
見学開始まで少し時間がある中、ふと港に目をやると、一隻の潜水艦が静かに帰港するところだった。甲板では、おそらく演習生であろう若い隊員たちが、岸壁に向かってロープを投げ、船体を固定する訓練を行っている。炎天下の中、一糸乱れぬその動きに「大変な仕事だな」と、思わず声が漏れた。

時間になり、私たちはまずクーラーが効いた涼しい集会室へ通された。生き返る心地だ。簡単な説明を受けた後、いよいよ見学がスタートした。
本物の潜水艦と、海の上の道
最初に案内されたのは、接岸している潜水艦の上だった。もちろん内部には入れないが、その巨大な鉄の塊の上を歩くことができるのだ。意外にも表面は平坦に整備されており、歩きやすい。自らの足で本物の潜水艦を踏みしめる。これだけでも、一生に一度の貴重な体験だろう。
しかし、次なる試練が待っていた。見学用の護衛艦は、広大な敷地の先頭、一番端に停泊している。両側に様々な形の艦艇が5隻ずつほど並ぶその間を、数百メートルは歩いただろうか。逃げ場のない日差しを浴びながら、それでも微動だにせず、完璧な姿勢で私たちを誘導してくれる隊員の方々の姿には、ただただ頭が下がる思いだった。

ようやくたどり着いた護衛艦では、隊員の方から標的を狙うミサイルや機関砲、レーダーシステムなどについて丁寧な説明を受けた。写真撮影も自由とのことで、お言葉に甘えて、家族全員の記念写真を隊員の方に撮っていただく。最高の記念になった。
最後の晩餐は広島の魂(ソウルフード)
見学を終える頃には、家族全員が夏の暑さにすっかりへばっていた。帰りの交通手段を探そうとタクシーアプリを開くも、一台もつかまらない。バス停で途方に暮れかけていたその時、幸運にも一台だけ空車のタクシーが! これぞ天の助け。私たちは転がるように乗り込み、呉駅、そして広島の地へと戻ったのだった。
旅の最後の晩餐は、やはりこれしかない。駅ビルで目星をつけていたお好み焼きの名店街へ。観光客でごった返しており、かなりの行列だったが、ここまで来たら待つしかない。鉄板の上で焼ける音とソースの香ばしい匂いに食欲を刺激されながら待つことしばし、ようやく席へと通された。熱々を頬張れば、疲れも吹き飛ぶ美味さだ。堪能した。

旅の終わり、奇跡は人混みの中で
食事を終え、最後にお土産を探す。もみじ饅頭も、今や定番の餡だけでなく、様々なクリームが入ったものが主流のようだ。還暦祝いをしてくれた会社の方々へのお土産に、キャラメル味のものを買い求めた。
さて、私たちの新幹線まではまだ少し時間がある。もう少し見て回ろうかと話していた、その時だった。
妻が、ごった返す土産物屋の会計に並ぶ人混みの中にいる一人に気づき、まるで時間が止まったかのように足を止めた。そして、信じられないといった様子で、その女性の名を呼んだ。
「〇〇ちゃん!」
名前を呼ばれた女性は、怪訝な顔で振り返った。誰だろう、と訝しむその表情が、次の瞬間、ぱあっと輝き、満面の笑顔に変わった。間違いない、私の姪だった。
「えええっ!?なんでここに!?」
お互いの家族から、同時に驚きの声が上がる。
しかし、喜びも束の間、姪は会計の列に並びながら、腕時計を気にするそぶりを見せた。
「学会で来てて、もう新幹線が!」「こっちは家族旅行でね!」
周りはものすごい人混みだ。邪魔にならないよう、そんな二言、三言を交わすのが精一杯だった。次に会えるのは、また何年後になるのだろうか。
すぐに「バイバイ」と手を振り、彼女は会計の列へと意識を戻していく。私たちは、その姿が人混みに紛れていくのを、ただ見送ることしかできなかった。
あまりにも短い、ほんの数十秒の再会。
それでも、この数十万人が行き交う巨大なターミナル駅で、この一瞬に出会えた奇跡。昔から、どこか不思議な強運を持つ姪らしい、あまりにもドラマチックな結末だった。計画者の妻も、行き当たりばったりの私も、誰も予想しなかった最高のサプライズ。旅の神様が最後にくれた、最高のプレゼントに違いない。
この衝撃的な出会いの余韻に浸りながら、私たちは帰りの新幹線「みずほ」に乗り込んだ。レールスターの流れをくむ2列+2列のゆったりとしたシートに、心地よい疲労感と共に深く身を沈める。
旅の思い出を静かに反芻しながら、家路についたのだった。
(還暦旅行記・完)
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